季の記

頭に浮かんだことなどを書いていこうと思っています

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もうご存知の方もいると思うけれど、一応、お勧めの本です。

「知られざる皇室
伝統行事から宮内庁の仕事まで」

著者 久能 靖

内容は、

第一部 祭祀と神宮
第二部 宮内庁と皇室の務め
第三部 皇居と御用地

とまとめられており、
歌会始や、宮中晩さん会、鴨場接待、盆栽、御親蚕なども触れている。

皇室、宮内庁について詳しく知ることができるし、皇室の在り方を考える時に読むと分かりやすい。


こっそり載せておく。

皇后陛下、82歳の誕生日おめでとうございます

皇后陛下、82歳の誕生日おめでとうございます。

ますますのご健康とご長寿をお祈り申し上げます。

昭憲皇太后陛下から香淳皇后陛下のお写真は、wikiよりお借りしました。

Empress_Shoken2.jpg
昭憲皇太后陛下

Empress_Sadako.jpg
貞明皇后陛下

Empress_kojun.jpg
香淳皇后陛下

Empress_mitiko.jpg
皇后陛下

続いて、次代は
l.jpg
紀子妃殿下

紀子妃殿下に続きます。




”静”と”動”

秋篠宮画像収集ブログさんより転載。

---スポーツ関係の某掲示板より-----
「スレチなんだけど、楽天で眞子さまを上から注目して見てたら、目が離せなくなってその様子が忘れられないんだ

周りにSPやお付きの人が5人くらいいて、その中でも眞子さまは茶道か剣道かと思うほど一番背筋がビシッとして体が揺れてなかった
盛り上がりどころはSPもちゃんと拍手するけど、眞子さまはどちらにも片寄らないように拍手し、顔は穏やかな笑みを湛えたまま
他の客のように姿勢を崩さない、拍手しても肩すら揺れない
役割を演じているにしても、そこだけ異質な落ち着き感があってびっくり

ゲームの間の休憩で外国人VIPが来たら外交のように挨拶したり、SPが何か情報を耳打ちしたりで忙しくしていて、主審のタイムの声で一斉に席に戻ってビシッと観戦、それをゲームごとに繰り返す

それを見て、この観戦はVIP外交なんだと思った

錦織が1stセット終わりにブレイクされたところで、ろくな合図も無いのに眞子さまとSP全員がびしっと立ち上がり、楽天の運営に笑顔で挨拶しながら去っていった
凄く訓練されてる人たちだなと思った
大変だわあれは」



これは、生まれながらの内親王殿下だからできるのではなく、努力、教育の賜物だよね。

上の眞子さまのような行動は、雅子さんには無理だ。
皇太子妃殿下という役割を演じきれない上、長時間じっとしていられない。
前から、あと何分かと時間を気にしているぐらいだから。


ふいに、昔読んだ本に出てきた明治天皇に初めて謁見した外国人のエピソードを思い出した。
うろ覚えだけど、こんな内容だった。
謁見した時、明治天皇はまったく動かなかったと。
(外国の君主は、動いたり握手してきたりするのに)
日本の天皇とは、こういうお方なのかと驚いたそうだ。

また読みたくなったので、図書館で探してみたくなった。

私が思う天皇陛下とは、時と場合によって”静”と”動”を使い分けているお方だ。
皇族も、そうなんだねと改めて納得。




週刊誌に、眞子さまの熱愛スクープ記事が出ているようだが、写真に細工をされている為、疑わしい記事だ。
秋篠宮家の記事が出る時は、大抵、浩宮家に都合が悪い事が起こっており、その話題そらしの為だ。
あとは、秋篠宮家への嫌がらせ。


一時は傷つかれたこともあるかもしれないが、佳子さまがおっしゃったように、皆さんスルーされているよ。


大丈夫。

大嘗祭を執り行うお方は(10/18追記)

産経ニュースの「平成30年11月に大嘗祭」を読んだ。

10/18 追記
言葉が色々足らないかなと思い、追記です。

「30年11月に大嘗祭」がなぜ取り上げられるのか?
仮に天皇陛下が「生前退位」するならば、平成30年に「即位の礼」と出るはず。
と、疑問が浮かんだ。

他の皇室記事を見ると、ほとんど
「天皇陛下、平成30年=2018年に生前退位を想定」の記事と、
「政府・天皇陛下の生前退位は無理」の記事の2つに分かれている。

記事を読む人は、どのニュースが本当なのかと不安に思うかもしれない。
今のマスコミは、日本にとって良い事実や真実を伝えているわけではない。
記事を丸ごと信じてはいけない。

この事をふまえ、読む時は色んな記事を読む。
そして、各記事を照らし合わせ、自分なりにこの部分は真実かもしれないと思う部分を心にとめる。

今日、改めて記事を見直した。
「平成30年」とあるのは、いわば〆切というか、ひとつの区切りなのかもしれない。

天皇陛下や政府側が、浩宮夫妻に以下の事を言い渡してもおかしくないね。

①平成30年に大嘗祭
浩宮の手元に、「即位の礼」など、大嘗祭を行うお金はあるか?

②壷切の剣など東宮が受け継ぐモノはあるか?

③公務について、天皇陛下と同じ質と量で働けるか?
また、健康状態はどうか?(もちろん、大丈夫だよね?)

④夫妻で公務が務められるか?
雅子さんは、ビョーキとのことだが、休むからには東宮医師団の診断ではなく、正式な診断を!

全て、答えは「無理」。


色々考えながら読んでいくと、「悠紀殿(ゆきでん)」と「主基殿(すきでん)」の文章が目にとまった。
をご覧になった秋篠宮両妃殿下のことが思い浮かんだ。

2015年06月07日 
秋篠宮両殿下愛知県お成り(六ツ美悠紀斎田100周年記念式典ご臨席)
2015年06月21日 
秋篠宮両殿下、香川県お成り(「主基斎田100周年記念式典」ご臨席)


秋篠宮両殿下が、「悠紀殿(ゆきでん)」と「主基殿(すきでん)」をご覧になったのは偶然ではない。

ここで、天皇陛下のお言葉を振り返る。
天皇陛下は、お言葉の中で、生涯天皇であることを示された。

そして、重要なポイントは、天皇陛下は「皇太子に受け継ぎたい」とは言っていない。

浩宮は皇太子という地位にあるが、その地位は保証されているわけではない。
その事が分からないまま、浩宮が病に倒れる。
病床で弟宮が摂政&登極されることを知り、初めて驚く。

と言う訳で、大嘗祭を執り行うのは、浩宮ではないよ。

平成30~32年の間だが、32年以降も今上陛下の御代が続くことを祈る。


賀茂別雷神社・賀茂御祖神社のご祭神について

wikiなどや色々見られる話しとちょっと違うかもしれないが、私が知っている話を書く。

ご祭神について

○カモタケツノミノミコト(加茂建角身命)
神武天皇の東征に伴った。伊賀古夜比売(イガコヤヒメ)を妻とし加茂の地に定住した。
その子 玉依比売(タマヨリヒメ)とともに加茂三社に祭る。

●イガコヤヒメ(伊賀古夜比売)
加茂建角身命(カモタケツノミノミコト)の妻。
賀茂神社に祀る。

○タマヨリヒコノミコト(玉依彦命)
加茂建角身命(カモタケツノミノミコト)の子。

●タマヨリヒメ(玉依比売)
加茂建角身命(カモタケツノミノミコト)の子。
丹塗り矢によって賀茂別雷神(カモワケイカズチノカミ)を生む。
〔賀茂神社=下賀茂神社のご祭神〕

◎カモワケイカズチノカミ(賀茂別雷神)
玉依比売(タマヨリヒメ)と丹塗り矢によって生まれた子。
丹塗り矢が大山昨命(オオヤマクイノミコト)の化身であったということから、大山昨命(オオヤマクイノミコト)が父と言われている。


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カモタケツノミノミコト(加茂建角身命)一家の話。

カモタケツノミノミコト(加茂建角身命)が神武天皇の東征に伴って軍を率いて大和にいた。
東征の時に、カモタケツノミノミコト(加茂建角身命)は、ヤタガラス(八咫烏)に姿を変えたという。

大和葛城→賀茂に移り、さらに川を遡って久我の北方の山本というところ(加茂神社の所在地)に移ってお住まいになった。

イガコヤヒメ(伊賀古夜比売)を呼び寄せて住まわせ、タマヨリヒコノミコト(玉依彦命)とタマヨリヒメ(玉依比売)が生まれた。

あるとき、タマヨリヒメ(玉依比売)が川のほとりで遊んでいると丹塗り矢が流れてきたので拾い上げ、家に持ち帰って、床のところに刺しておいた。
それがもとで懐妊して、男子(カモワケイカズチノカミ(賀茂別雷神))が生まれた。

男子が大きくなった時、祖父のカモタケツノミノミコト(加茂建角身命)が宴会を催した。
祖父のカモタケツノミノミコト(加茂建角身命)が、男子に「お父さんと思われる方にこの酒をつぎなさい」と言いつけた。

男子は酒杯を取り、天に向かってお祈りをはじめ、屋根を突き破り、天に上った。

屋根を破って天に昇られたので、祖父の名を取りカモワケイカズチノカミ(賀茂別雷神)と申し上げた。

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賀茂御祖神社・通称下鴨神社は、カモワケイカズチノカミ(賀茂別雷神)の母と祖父が祀られている。
その為、賀茂御祖神社と言う。

ご祭神
母・タマヨリヒメ(玉依比売)
祖父・カモタケツノミノミコト(加茂建角身命)


賀茂別雷神社・通称上賀茂神社は、カモワケイカズチノカミ(賀茂別雷神)を祀っている。
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賀茂別雷神社・通称上賀茂神社について、こんな話がある。

欽明天皇(539~571)時代、天候不順で作物の生育が悪く、農民の疲弊があったことを心配した天皇が神官に占わせた。
その結果が、賀茂大神の祟りであると出る。

ただちに手厚く祭祀を行った。すると、天候不順はなくなり、晴雨のサイクルが回復して、五穀豊穣となったという。

それ以来、賀茂神は祈雨(きう)・止雨、河川・治水神、農業・産業開発の守護神として崇敬を集めるようになった。

その後、桓武天皇の平安遷都の際、平安京の守り神として信仰された。

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天皇陛下が賀茂御祖神社、賀茂別雷神社に行かれるのは、神社の由縁もあるし、
・神武天皇と関わりがある
・毎年葵祭に勅使を使わしている
・去年、遷宮があった
もあるからかなと思っている。


参考資料「神話伝説 神・仏の戸籍しらべ」より
古い本だけど、神々や仏さまの由来を知りたいときは、この本が参考になる。
「古事記」



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