季の記

頭に浮かんだことなどを書いていこうと思っています

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2016年「歌会始」②

天皇陛下ー戦後70年の慰霊
皇后陛下ー夕方の空を飛ぶ飛行機を見て、欧米をお一人で旅行された時のことを思い、
 飛行機にも同じような旅をする若者が乗っているのだろうかと想像した。
秋篠宮両殿下ーブラジル訪問
眞子様ー石川県訪問
佳子様ー鳥取県訪問

陛下は、戦後70年について詠まれると予想していたので、やはりという思い。
天皇皇后両陛下は、戦争を経験されている分、思いが強い。
報道などから、お体が動くうちに、慰霊に行きたいと思われている様子が伺える。

先の大戦で亡くなられた日本人や現地の人などを慰霊する。
その為に行かれる。
決して、海外旅行ではない。
それが分からん人たちがいるようだ。

話を戻して、
皇后陛下は、ご自分のことを重ねつつも、夕方の空を飛ぶ飛行機について想像した歌なので、自分のことを歌った歌ではない。
ここで、去年の天皇陛下の御製を思い出した。
私が思ったことだが、陛下の御製「夕やみ」に続くように、皇后陛下も「夕茜」を歌われたのかなと。

秋篠宮両妃両殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下の歌は、訪問先の方々がお喜びになる歌だね。
遠いブラジルで、日本に触れ、日本を思い出されたと分かる。

皇太子さんは、なぜスペイン?
復興を歌うなら、日本を歌って欲しいと突っ込み入れてしまった。
あ、でも法則が。
複雑。

来年のお題は「野」。
「人」→「野」かぁ。
「野に下る」を思い出したけど、意味は「官」から「民」へなんだよね。



以下は、ネットより拾い物。

2879676u.jpg

280113u.jpg

28527373.jpg

眞子内親王殿下、このローブモンタントもよくお似合いで、清く美しい。
よく見ると、花があるんだけど、それもまた良い。

目の保養になった。

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コメント

歌会始に示された「次代へのお覚悟」と「両陛下との連携」

ROM専の愛読者ですが、初めて投稿させて頂きます。

 今年を含む近年3年間の歌会始の御歌には、主要皇族(両陛下と秋篠宮ご一家)が国民に送る重大なメッセージが込められている。
 過去10年の歌会始を調べ、私はそう確信しました。

 秋篠宮殿下は、両陛下との緊密な連携のもと、既に次代即位へのお覚悟を固められている。
 東宮夫婦は、完全に蚊帳の外。
このことが、2014年以降、毎年の各皇族の御歌の「内容と相互関係」によって、示されている。
 以上が、私の結論。以下はその論証です。
(・・と、歌の鑑賞に全くそぐわない書き方ですが、ポイントだけ列挙します。丁寧に書いてると、果てしなく長くなりそうなのでw
他の方の既存の指摘も多々あるかもですが、ご容赦下さい)

2015(昨年)歌会始の御歌
文仁親王殿下  
年久しく風月の移ろひ見続けし 一本の巨樹に思ひ巡らす
紀子妃殿下   
日系の若人語りぬ 日本へのあつき思ひと移民の暮らしを

2016(今年)歌会始の御歌
文仁親王殿下  
日系の人らと語り感じたり 外つ国に見る郷里の心
紀子妃殿下   
海わたりこのブラジルに住みし人の 詩歌に託す思ひさまざま

●昨年の「一本の巨樹」が何の喩えかは、言わずもがな。この時、秋篠宮殿下の「次代を担うお覚悟」がハッキリ示された。
13年の東宮「太公孫樹」の歌と比べると歴然。巨樹に向かって「ボクも早くなりたいな」と見惚れているだけのアホな兄とは違い、弟宮は、皇統の重み・生涯の重責をひしひしと受け止めながら、これをご自身の未来の現実として「思ひ巡ら」しておられるのだ。

●今年の秋篠宮の御歌は、昨年の紀子妃と本質は全く同一の内容。
つまり、昨年の秋篠宮の御歌と併せ考えれば「紀子妃と心を一つにして、次代の重責を担います」というメッセージ。
一つにする心とは、昨年、ご夫妻で共に詠まれた「思ひ」の言葉。
昨年、紀子妃殿下が明言された「日本へのあつき思ひ」です!
日系移民の心ばせを讃える御歌に託して、ご夫妻ご自身の決意をこの時に示された、と私は思うのです
まことに勇気に溢れた、頼もしい言葉だと思いました。
ここぞという時の、この紀子妃殿下の肚の座った物言いに、ただただ敬服しました(過去10年、紀子妃がこのような強い言葉を詠まれたのは、この時だけです)。
この「思ひ」の語は、昨年今年と、秋篠宮ご一家の御歌にだけ集中。今年、真子様・佳子様も共に「思ひ伝わる」と詠まれました。

●今年、両陛下・秋篠宮ご一家の緊密な連携が、改めて示された。
御製「島緑にて海に横たふ」、皇后陛下「若き日」の御歌から、一文字ずつ漢字を賜り、秋篠宮が「日」、紀子妃「海」、真子様「緑」、佳子様「若」を各自御歌に織り込まれた。
(私はこれを、両陛下から国民に向けられた「秋篠宮との関係は心配無いですよ」というメッセージと理解しました。愚かしい陛下叩きの騒ぎは、陛下も当然ご存知でしょうから)

◆◆ここで、まぎらわしいニセモノに注意!!◆◆

 雅子さんのことです。
今年の雅子さんの歌「語りあふ若人」にも「若」の字があるが、これは皇后陛下から賜ったのではなく、ただの無断借用。
陛下だけでなく、秋篠宮殿下の「語り」からも寸借してるのが、その証拠。
雅子さんの歌が、1つではなく、2つも(夫以外の)他人の歌と同じ字が重なるのは、3年連続のこと。
(14年は御製から「海」「水」、15年は紀子妃から「若」「日」)
 とても偶然とは思えない。
両陛下と秋篠宮家の御歌の情報を得て、パクっているのだろう。
衣装まねっこと同じ、歌作りでも天性のストーカー資質を発揮。

●昨年15年も、両陛下は御歌で、秋篠宮との連携を示されていた。
御製「稔りたる稲」は、ノギ偏の漢字連続使用で「秋」の強調(「実りの秋」という意も)、皇后陛下「本とふ文の林」も皇統の本流たる文仁親王殿下ご一家への感謝の意が込められていると、私は解釈。
(「秋・文」の字が御二方の御歌で露骨に並ばないように、天皇陛下が一歩婉曲な表現をなさった点に、巧みの技を感じましたw。次項の「水俣・イドリア」もそう)

●両陛下・秋篠宮両殿下の連携は、既に14年の歌会始でも顕著。
御製の「水俣」に呼応して、紀子妃は「イドリア(有名な水銀産地)」を、又、伊勢臨時祭主の清子様の御姿を詠まれた皇后陛下に呼応し、秋篠宮は「遷御の儀」をお詠みになった。

●歌会始は、14年からは、前年までと大変わりの印象がある。
①以後、上記のように両陛下・秋篠宮の御歌の連携が始まった。

②秋篠宮殿下の御歌の内容にも、14年以後、大きな変化が。
それまでは、繊細・伸びやかな感覚の自然や旅を愛でる御歌の続いた殿下が、14年からは、神事・巨樹・公務と「責務」を思わせる内容に。(これは私の主観だが、歌の響きも急にズッシリ重くなった)

③一方で、東宮夫婦の歌にも明らかな変化がある。
 要は、13年までは毎年、夫は尊大な「ボク自慢」、妻は見るからに手抜きの歌の連続。
これが14年からは夫婦とも、ウワベだけはマトモな歌になった(妻の方には、上記のストーカー癖も出てきたが)。
 つまりは、この頃から、尻に火が点いて来たということ。
(歌の題材も、14年は夫婦で「新嘗祭・釜石」、今年は「スペイン・福島」。どうも秋篠宮両殿下を意識して「私たちも神事・被災地訪問・海外公務みんなやってます」みたいな言い訳にアセリ始めた感じ。
あと昨年「学び」今年「復興」と夫婦で言葉も揃え、夫婦仲もアピール。むろん、秋篠宮ご夫妻の「思ひ」のような深みはない。
とにかく見え透いた姑息さが、このご夫婦らしいところ。それに、
こういう時だけは夫婦で一致協力し合ってるのが、笑える・・)
「13年10月の遷宮が、東宮改心の執行猶予期限」との、一部の視える人の見解は、確かにその通りだったのだと、納得しました。


【 感 想 】
皇室、恐るべし。
全国民に披露される御歌の中に、
次代が誰かを堂々示していたなんて、
雅(みやび)の心の奥深さに、脱帽w

 以上、当方は自分の見解を押しつける気は、全くありませんw
新春らしく、コジツケ扱いにでもして、笑ってやって下さい。

 でも、御製と皇后陛下の御歌は、字づらの分析に終始するだけでは、いけませんよね。
 殊に近年の両陛下の御歌には、歌の背後に、時に「神意」が見え隠れするような凄みが感じられます。
 
今年の皇后陛下の御歌「夕茜に入りゆく一機」にしても、私には何やら東宮の行く末への暗喩が重なりました。
東の地を離れ、夕闇迫る西空に消えてゆく孤独な一機ですから。
私はこの御歌のイメージに、あの藤城画伯が愛子さんに献呈した『夢がとぶ』の絵を思い出しました。

ただ、去年の御製もそうですが、(本来、華やかさが期待されるはずの)歌会始での「たそがれ時」の御歌こそ、俗な解釈を超えたレベルにある崇高自由な両陛下の歌心の証のように思います。
両陛下の御歌にはしばしば、無私の境地に降りて来た神々の言葉がそのまま表現されているように思うのです。
だから、時に、冷厳・緊迫した意味合いを含む言葉も当然ある。
(この歌作りのプロセスのことは、ひたすら真剣な態度で考えたい。
不真面目な邪推(「陛下は兄弟どちらを、ご贔屓?」の類)は、両陛下の人格への不当な中傷を招きかねないから。
両陛下は、次代が弟宮であるべきを断固わきまえつつ、一方では、親として兄宮弟宮の双方に誠実な情愛を注がれている。
藤城画伯が愛子さんに何ら悪意などなかったのと同様に、御歌に暗い内容が連想される時があっても、それは芸術的直観とか或いは「神意」の現われであり、陛下ご自身が意図されたものではないと、私は考えます)

もちろん、両陛下は明るいイメージの御歌も多く作られています。
私は特に13年皇后陛下の「天地にきざし来たれるものありて」が大好きで、この御歌には声に出すだけで希望が膨らむような力強さをいつも感じています。

いずれ、両陛下の御歌に対しては、これからも心して再読三読し、長く向き合って行きたいと、思う次第です。


P.S.
 和月様
 結局、ド長文コメントになってしまい、申し訳ありませんでした。
 今回の内容、昨年盆休みに過去の歌会始の御歌に「あれ?」と思って以後、折に触れ調べていたことが、先週の歌会始で確信に至り、寄稿しました。
 また最後は、御歌を通して両陛下の内面に触れた以上、不謹慎な誤解を招く安易な書き方だけはすまいとの思いに駆られ、あれこれしつこく書かせて頂きました。
 たぶん、ほんのたまにしか投稿しないだろう怠け者ですが、貴ブログの発展を心から祈念しています。
これからも、どうぞご活躍ください。

で、最後に、駄句。

 火の思ひ水の面に煌きて 国母の珠のつなぎしを見ゆ

Re: 歌会始に示された「次代へのお覚悟」と「両陛下との連携」

宝船様

初めまして。

興味深く、面白いコメントをありがとうございます。

よく気づかれましたね。

両陛下と秋篠宮同妃両殿下の御歌の連帯のことを読んだ時、思ったことですが。
これは、両陛下と皇太子同妃両殿下の連帯という形と言えますね。
秋篠宮家が東宮化したように、和歌もそういう連帯を取られているように感じました。

ただ、キーワードや文字を取って作成すればいいというものではない。
和歌は、やっぱり奥深いです。
まして、皇室の和歌は特に。

もう少し時間ができたら、過去の歌会始の御製や秋篠宮両殿下の和歌をじっくり読みたいと思います。
その上で、また返事を書きますね。

コメントありがとうございました。

Re: 歌会始に示された「次代へのお覚悟」と「両陛下との連携」

宝船様

過去の歌会始の御歌を読み返して、鳥肌が立ちました。
おっしゃるとおり、2014年からの御歌は意味深でメッセージ性があると感じました。


2013年の皇后陛下の御歌
「天地にきざし来たれるものありて君が春野に立たす日近し」も意味深ですが、
その次の年から天皇皇后両陛下と秋篠宮両殿下の連帯、内容が変わったことを考えると、
この御歌にもメッセージ性が込められている気がしてなりません。
力強く感じられる歌で、いずれは!とワクワクする歌で私も好きです。


2014年から変化があった秋篠宮殿下の御歌を読み返すと、
上手く言えないですが、柔らかさの上に重みが付いたという感じがします。

変化があった皇太子夫妻の御歌も読み返しましたが、上辺だけはまともな歌に見えるけれど内容が薄っぺらい。
天皇陛下や秋篠宮殿下の御歌に感じる重みがないですね。


私も気づいたのですが、皇太子さん、特に雅子さんの歌も2014年から内容が変わったことについて、週刊文春の内容を思い出しました。
その内容を受け、私の想像ですが、2013年~2014年の間に歌のことで皇后陛下に注意されたから、内容を変えたのでは?
そして、宝船様のおっしゃるように両陛下と秋篠宮家の御歌の情報を得て、パクったのか?
と考えました。

本当に、皇室の御歌、恐るべしですね。
今年の歌会始が終わったばっかりですが、来年の歌会始が待ち遠しくてなりません。

コメントありがとうございました。

御礼

和月様

 重ねて丁寧なご返信を頂き、恐縮しています。
 どうもありがとうございました。

 コメした後で気づいたのですが、和月様の今月『初夢』の記事(1月2日掲載)で、夢の中の悠仁親王殿下が「あと3年の辛抱です!」と仰っているのも、夢を見られた時期(2011年正月)を考えると、
「2013年の末までが辛抱」ということですよね。
 2014年正月の歌会始からの大変わりと符合するようで、自分の見解に自信を深めることができましたw
(話は逸れますが、この夢もいかにも未来の「賢帝」を予感させる内容ですね。日本の将来が楽しみです)

 まあ私個人の見解などはともかく、私は自分なり歌会始の御歌と向き合えて、本当に良かったと思っています。
 天皇皇后両陛下と秋篠宮同妃両殿下に対し、改めて、心から敬意を抱けるようになったこと。
 和歌の奥深さの一端に触れた思いになれたこと・・等々。
 殊に両陛下の人格に対しては、「畏敬」という言葉がふさわしいことを実感できました。
 皇統の正しい継承への確固とした洞察と決意。
 人への分け隔てのない慈愛。
 畏怖されるような芸術的な直観・・。
 言うは簡単ですが、一人の人格の中で、こうした美質の全てが互いに矛盾なく調和して高められていることが、どれだけ貴いことか。
 人間は難しいもの。いずれかの美質が突出すれば、他はどうしても引っ込みがちなものと、私などは思うから。
 本当に、両陛下は「国民の手本」を生きられていると思いました。

 和月様、寒さ厳しい折、どうかお体をご自愛され、ご活躍を続けて下さい。
 あと、当方は以後しばらくコメ投稿しないと思いますが、どうかご勘弁を。
(深刻な理由はナシ。今回コメだけで、力を使い果たした感ありのため。結局、私も東宮夫妻を笑えないナマケモノとの自覚に至りましたw)
 ただ、拍手ボタンはコツコツ押して、ブログ発展にささやかには貢献させて頂く所存です。
 両陛下にならい、日々広い心で祈ることも心掛けつつ。

 どうぞ、これからもよろしくお願い申し上げます。

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