季の記

頭に浮かんだことなどを書いていこうと思っています

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「祈り」について

「祈る」対象がキリスト教、仏教、神道でも、「祈り」の観点では関係ない。

重要なのは、「祈る」ことを知っていること。

日々の感謝、周囲への感謝、実現を求める心。
将来、起こるかもしれない災いで被害を大を小にという心など。
祈りは、多様だ。

神社や寺は、祈る心を見えない世界に届けてくれる窓口のようなものかなと思う。
前にも書いたが、現世で「祈る」と、見えない人たちや神々が「祈り」を見えない世界に届けてくれる。

私たちにはピンとこないかもしれないけど、多くの祈りでこの世は回っている。

自分で祈り、誰かの祈りによって助けられ、生きていると思う。

その祈りの中で、究極の「祈り」は、無私の心で「祈る」こと

無私の心と言えば、皇室。
無私の心を持つように心がけ、生きる皇族。
特に、天皇皇后両陛下は、祭祀を行い、無私の心で民の幸せを祈られる。

私たちは、天皇皇后両陛下の祈りの中で、生きていると言っていい。
例え、国民の中に天皇皇后両陛下を批判する民がいても、全ての国民の為に祈られるだろう。

だから、皇紀2675年も続いている

そのことに、意味がある。


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コメント

無私

本日も興味深い記事をありがとうございます。
ほとんど同感です。神社は祈りを届けるための窓口であるということ。神棚も同様でしょうね。毎日祈って、感謝を伝えたいから、神様との接点を家に迎える。

この前、興味深い記事を読みました。神社には鏡が祀られていることが多いのは何故か。
「かがみ」から真ん中の「が(我)」を取り除くと「かみ(神)」になる。つまり、神様とは無我の境地である。
私はこれを読んだ時、生きながらに無我の境地へ辿り着いている両陛下を思い浮かべました。あぁ、だから人間宣言をされるまで、神と崇められて来たのだなぁと。

御皇室が素直に大切にされる時代、再び戻って来ると良いですね。
いつも更新ありがとうございます。

Re: 無私

はに様


神社の鏡のお話を書いて下さり、ありがとうございました。
興味深いお話で、勉強になりました。

神様とは無我の境地…、すなわち究極の意識ですね。
考えさせられます。

そうですね、いて下さるだけで有難いと言える時代が、再び戻って来るのを願います。

コメントありがとうございました。

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