季の記

頭に浮かんだことなどを書いていこうと思っています

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皇后のライン

もはや、『皇后になるべき人』は、雅子さんではない。

紀子妃殿下が、『皇后になるべき人』。

国民でさえ、分かっているのに、雅子さんはまだ分からないようだね。
どれだけ、おつむが悪いとお察し。

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産経ニュースより。

この写真を見て、皇太子妃として着用を許されるティアラをおつけになられている紀子妃殿下が視えた。
若々しく、素敵な妃殿下で、涙が出た。

という訳で、皇后のラインは、皇后美智子さま―紀子妃殿下―妃殿下と繋がる。
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動いた分の反動が大きい

明日で、8月も終わり。
9月になれば、もう少しブログを書けるかも・・・と思いたい。

久子さんのことを書こうと思う。

学歴ロンダリングなど、色んなエピソードを知る。
久子さんは、雅子さんの母、小和田優美子さんと旧知の仲だけあって、似ている。
子供への愛情自分の体面だから。

まさに、類は友を呼ぶ。

ふいに、前に書いた記事「因果応報」を思い出した。

●「久子が動けば動くほど、自分に返ってくる」
お金、利権、自らの繁栄を求め、動いた結果がこんな形で返ってくる。

手始めに、東宮家がいなくなり、次に小和田家、三笠宮殿下がいなくなる。
その時になって、本来の末端宮家の立場を思い知る。
生活は、久子さんの思い通りにいかない。

長女は、早くに亡くなる。
二女と三女は、結婚するが、長女の死で、久子さんと疎遠になる。

一人寂しく、雅子さんと同じくらい、長く生きる。

だから、●「その先は、本人が思い描いた晩年ではない。」


狂った雅子さんと違い、久子さんは正常な精神で、かつて嫉妬して嫌がらせした秋篠宮一家の輝かしい姿を見るのは屈辱だろうね。

それが、久子さんの蒔いた種を刈り取る時だから。

あぶり出し

オリンピックロゴデザイナーの盗作疑惑ニュース。

デザイナーの仕事も態度も、中身がスカスカ。
なんで、あのデザインが褒められたのか分からない。

だが、天は見ているね。
盗作疑惑に気づき、動いた人が、ネットにあげていく。
それらしい言い訳を作り上げても、火消ししようとしても、中身がスカスカだから、論破される。
逆に、自分の首を絞めていく。
まさに、ブーメラン状態

ブーメラン状態といえば、東宮問題を思い出すね。

思い出すのは、無理はない。
なぜなら、この件のからくりは、東宮問題と同じだから。

からくりが同じ=非日本人が作ったということ。

(非日本人は、アチラの国の者もいるし、日本人でありながら赤の思想に染まっている者も含む)

面白い。

それと、盗作疑惑に気づき、動いた人は、気付かない内に、天からのお役目で、動かれたのだなと思った。

とにかく、オリンピック問題で騒がれる度、今の日本の縮図を見る。


皮肉な事に、騒がれる度に、オリンピックへの意識が高まっていく。

ただ、2020年に開催されるかは今のところ分からない。
両陛下、パラオより帰国で、書いたように、カレンダーが平成32年までしか見れないということもある。
もちろん、その後も御代が続くことを祈っているが。

安倍首相の戦後70年談話全文

安倍首相の戦後70年談話、良かった。


朝日新聞より
安倍首相の戦後70年談話全文

2015年8月14日20時57分

8月は私たち日本人にしばし立ち止まることを求めます。今は遠い過去なのだとしても、過ぎ去った歴史に思いをいたすことを求めます。

 政治は、歴史から未来への知恵を学ばなければなりません。戦後70年という大きな節目にあたって、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を振り返り、その教訓の中から未来に向けて、世界の中で日本がどういう道を進むべきか、深く思索し、構想すべきである、私はそう考えました。

 同時に、政治は歴史に謙虚でなければなりません。政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない、このことも私の強い信念であります。

 ですから談話の作成にあたっては、21世紀構想懇談会を開いて、有識者のみなさまに率直、徹底的なご議論をいただきました。それぞれの視座や考え方は、当然ながら異なります。しかし、そうした有識者の皆さんが熱のこもった議論を積み重ねた結果、一定の認識を共有できた、私はこの提言を歴史の声として受け止めたいと思います。そして、この提言のうえにたって歴史から教訓をくみ取り、今後の目指すべき道を展望したいと思います。(以上、記者会見での冒頭発言)

     ◇

 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃(そろ)えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃(たお)れたすべての人々の命の前に、深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫(えいごう)の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱(しゃくねつ)の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈(かれつ)なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛(つら)い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留(とど)めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗(な)め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

 しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈(しれつ)に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐(おんしゅう)を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意(しい)にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引(けんいん)してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

     ◇

 (談話を読み上げ後)以上が私たちが歴史から学ぶべき未来への知恵であろうと考えております。冒頭私は、21世紀構想懇談会の提言を歴史の声として受け止めたいと申し上げました。

 同時に私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません。謙虚な姿勢とは果たして、聞き漏らした声がほかにもあるのではないかと、常に歴史を見つめ続ける態度であると考えます。私はこれからも謙虚に歴史の声に耳を傾けながら、未来の知恵を学んでいく。そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えています。私からは以上であります。






鮫 目撃ニュースに思う

鮫が、静岡県焼津市の海で目撃されたというニュースを見て、豊玉姫神(トヨタマヒメ)を思い出した。

それだけ。

調べてみたら、鹿児島、茨城、千葉でも目撃されているね。

澱より光を見る

写真は載せないけど、これは書いておこうと思う。

皇太子一家が須崎へ静養に行った時の写真を見て、これほど守りがいない写真を見たのは初めて。
守りもいないし、オーラもないから、一般市民と変わらないレベルになっている。
一般市民と違うのは、一般市民より穢れがひどい。

皇太子一家、終わった。

もう、上が言う通り、澱の(皇太子一家)のことは捨て置け だ。
日本に光がさしてくるのを意識しながら、悠仁殿下の誕生日で公開される写真やエピソードを待ちたいと思う。

コメント頂いたように、今、日本は、悲しみ、平和を願う、色んな祈りで溢れている。
そう思うと、この8月はどの月よりも重い。

昭和館

皇太子さん一家の昭和館訪問について、産経ニュースより。

皇太子ご夫妻と長女の敬宮(としのみや)愛子さまは26日、東京都千代田区の昭和館で、戦後70年の特別企画展「昭和20年という年~空襲、終戦、そして復興へ~」を見て回られた。愛子さまは当時の写真などが並ぶガラスケースをのぞき込み、戦後、墨塗りされた教科書に関心を示されていた。宮内庁東宮職によると、愛子さまが戦争関連の展示を見学されるのは初めて。ご夫妻は、戦争を知らない若い世代に悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切と考えており、愛子さまを同伴されたという。
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お慎みの日に誤静養をする一家が、戦争の特別企画展を訪れるなんて、どう見てもパフォーマンス。
雅子さんの服装も、喪に準じた服装(暗めの色)を着ていない。
TPOができないのと、戦争企画展の趣旨を理解できない、白の服にこだわりがある上、この後、どこかで外食の予定だから、この服装か?
外食の話もありうる。そうしないと、雅子さんが出かけられないと私は思っている。

皇太子さんの発言が、どこかの国と似ていて、すっかり雅子さん側に取り込まれているんだとしみじみ思う。
もう解除不可能だね。
未来の天皇になるという立場の皇太子としては、こちらの方が、危うい発言だ。

同じ昭和館を訪れた秋篠宮ご一家のほうは、


秋篠宮ご夫妻が佳子さま、悠仁さまと戦争展をご観覧
2015.8.7 11:17 産経ニュースより
 秋篠宮ご夫妻は7日、次女の佳子さま、長男の悠仁さまとともに東京都千代田区の国立施設「昭和館」を訪れ、学童疎開や空襲など戦中、戦後の国民生活に関する資料を集めた常設展と、戦後70年に合わせた特別企画展「昭和20年という年~空襲、終戦、そして復興へ~」を観覧された。
 戦中の教科書などを紹介したコーナーでは、お茶の水女子大付属小3年の悠仁さまが自分と同じ学年の通信表(通知表)に気づき、秋篠宮妃紀子さまに「3年生」と説明された。
 全国各地の空襲による犠牲者を棒グラフで示したタッチパネルの前では、悠仁さまが「やっぱり広島県が多いね」と指摘され、秋篠宮さまが「広島は原爆でね」と応じられていた。

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「昭和館」の常設展を見学される、秋篠宮ご夫妻、佳子さま、悠仁さま=7日午前、東京都千代田区(代表撮影)


動画を見たが、たくさんのフラッシュがたかれている中で、観覧されたということが分かる。
秋篠宮殿下が説明役の方を見れば、紀子妃殿下や佳子さま、悠仁さまも見る。
同じように秋篠宮殿下が展示を見ると、そちらを見る。
皆、秋篠宮殿下を見習って動かれているんだなと思った。

どちらが、心を寄せているか、火を見るよりも明らかだ。


もう葉月ですね

日々が過ぎるのが早い。
もう、8月になってしまった。

忙しいのは変わらないが、パソコンが直り、書けるようになったので、更新。
(良かったー!やったー!)

東宮女官長が決まった。
新しい女官長は、外務省だが、北米派で中国派ではない方の奥様。
この人事により、政府が、東宮側の「女官長がいないもので~」という言い訳を封じたと。
頑張ったと思う。

写真を見た時、皇后陛下の顔色がすぐれないのでお疲れが出たんだろうと思っていたら、ご病気のニュースを知った。
病気快癒のお祈りをしてきた。
まだまだ、長生きして頂き、悠仁殿下の成長を見守って欲しい。

ご病気といえば、常陸宮殿下は大丈夫なんだろうか。
8月1日に入院されたきりで、退院のニュースを聞いていない。
熱は下がられたのか、まだ治らないのか分からないが、快復に向かわれることを祈る。

続きは次の記事に。



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