季の記

頭に浮かんだことなどを書いていこうと思っています

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兆し


赤墨色(あかずみいろ)の太陽が、西に沈む。
やっと終わった。
悲しみは、ない。
国民は、驚き、納得して冷静に眺めている。


しばらくすると、東から黄金色(こがねいろ)の太陽が昇るのが見えた。
その光は、清々しく綺麗で、いつまでも眺めていたい。
朝日となり、静かに日本を照らし始める。
国民は、高揚感、喜び、笑顔、祝福であふれる。

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「祈り」について

「祈る」対象がキリスト教、仏教、神道でも、「祈り」の観点では関係ない。

重要なのは、「祈る」ことを知っていること。

日々の感謝、周囲への感謝、実現を求める心。
将来、起こるかもしれない災いで被害を大を小にという心など。
祈りは、多様だ。

神社や寺は、祈る心を見えない世界に届けてくれる窓口のようなものかなと思う。
前にも書いたが、現世で「祈る」と、見えない人たちや神々が「祈り」を見えない世界に届けてくれる。

私たちにはピンとこないかもしれないけど、多くの祈りでこの世は回っている。

自分で祈り、誰かの祈りによって助けられ、生きていると思う。

その祈りの中で、究極の「祈り」は、無私の心で「祈る」こと

無私の心と言えば、皇室。
無私の心を持つように心がけ、生きる皇族。
特に、天皇皇后両陛下は、祭祀を行い、無私の心で民の幸せを祈られる。

私たちは、天皇皇后両陛下の祈りの中で、生きていると言っていい。
例え、国民の中に天皇皇后両陛下を批判する民がいても、全ての国民の為に祈られるだろう。

だから、皇紀2675年も続いている

そのことに、意味がある。


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